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既婚童貞が妻を寝取られて託卵されちゃうお話 (Pixiv Fanbox)

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1 3月12日 午前5時30分

「今日も遅くなるの?」

朝五時、綾音の仕事の時間に合わせて起きるのもだいぶ慣れた。

朝食の味噌汁を啜りながら綾音の顔を見ると、残念そうな顔をしている。

「ああ……プロジェクトの方がそろそろ大詰めだから……ごめんな、いつも早く帰るようにはしてるんだけど」

ここ数ヶ月は、社運をかけたプロジェクトに参加しているということで、終電ぎりぎりで帰ってくるのがやっとという生活を送っている。

一方の綾音は朝早くから仕事をしており、半年前の新婚当初から、生活サイクルは完全にずれ切っていた。

だから、和樹は眠い目をこすりながらも、綾音に付き合って一緒に食事を取ることにしている。

「いいよ、気にしないで……あなたのお仕事が忙しいのは、わかってたから」

「早く帰れそうだったら、帰ってくるからさ」

ここまで言うと、綾音の顔がぱっと輝く、会えなくて寂しいのは二人とも同じ。

何気ないしぐさだったが、綾音も同じ気持ちということを知って嬉しくなる。

改めて綾音の顔を見る、贔屓目なしに可愛く、自分とは釣り合っていないような気さえした。

目はぱっちりとした宝石を思わせるような瞳と長い睫、桜貝のような艶やかで小さな唇。

小柄な身体で、小ぶりだが丸みを帯びた胸やお尻は何とも柔らかそうだった。

他に狙っている男も多そうだったが、綾音からも積極的にアプローチがあったということで、見事に自分が射止めることに成功している。

はっきり言えば自慢の妻だった。

「…………どうしたの? ぼーっとして」

「あ、ああ……何でもないよ、気にしないで」

「そう? 疲れてるんじゃない? 昨日も私が寝た後帰ってきたみたいだし」

「大丈夫、いつものことだから」

こうやって、綾音が出かける時間になるまでいろいろな話をする。

綾音との取りとめのない会話、これだけでも和樹にとっては幸せだった。

話の内容は、仕事のこと、何気ないニュースのこと…………夫婦としての絆を思い出すように、話を重ね、互いの気持ちを確かめ合う。

「あ、もうこんな時間、そろそろ行かないと……」

そろそろ出発の時間ということで、和樹は綾音を見送りに玄関まで。

靴を履いて、後はドアを開けるだけ……というところで、綾音が急に振り返った。

「あ、そうだったな…………」

いってらっしゃいのキスをしてほしいのだと、綾音の艶やかな唇に軽く唇を触れ合わせる。

ふわっといい匂いが漂い、早朝にもかかわらず昂ぶりを感じてしまう。

「じゃ……行ってきます」

恥じらいと嬉しさの入り混じった表情を浮かべながら綾音は玄関の外に。

その後姿を見送りつつ、そういえば結婚して半年なのに、一度もしていないことを思い出す。

交際から二年、結婚したはいいが、直後に和樹が大きなプロジェクトに参加することになり、新婚旅行に行く暇もなく、朝から晩まで仕事をする羽目になってしまった。

一方の綾音も、正社員に登用されたことで忙しくなり、すれ違いがちになっていった。

さらに、和樹にとって綾音は初めての女性だったため、まだ経験はなかった。

というのも、綾音は何かにつけて、そういうことは結婚してからと語っており、結婚する前は、誘っても無下に断られてしまっていた。

形の上では夫婦なのだが、和樹は綾音の本当のぬくもりを知らない。

妻であるにもかかわらず、彼女の本当の姿さえ、全くわかっていなかった。

「プロジェクトさえ片がつけばな……」

和樹自身が落ち着けば、本当の夫婦になれるはず、そう信じていた。

ここまで待ったのだから、あと2,3ヶ月くらいは待てるはず……寝る前に無理に迫れば、綾音もそれを受け入れてくれるかもしれない。

しかし、綾音も疲れているだろうし、向こうが嫌がることはしたくなかった。

「…………もう一眠りするか」

ここまで考えたところで、時計を見るとまだ6時前だった。

8時に起きて準備すれば間に合うということで、二度寝をしようとベッドに向かう。

2 3月13日 午前0時45分

「ただいま…………」

リビングはまだ明かりがついていて、ソファにはパジャマ姿の綾音が横になっていた。

テーブルを見ると、盛り付けられた食事が、ラップでに包まれて置かれていた。

「綾音………」

妻の気遣いを嬉しく感じ、眠っている綾音のために毛布を持って来ようとすると……

「……おかえりなさい、あなた。ごめんなさい、寝ちゃってた」

「いいよ、明日も早いんだろ?」

物音を立ててしまったみたいで、綾音は目を覚ました。

和樹が席についたところで、綾音も目をこすりながらこっちに向かってきた。

「ううん、平気。私まだご飯食べてないから、一緒に食べよ?」

料理を電子レンジで温めている後姿を見ていると、不意に綾音が和樹の方を向いた。

「そういえば、今日充君から電話があったよ。就職活動でこっちに来るから、もしよければしばらく泊めてくれないかって、聞かれたんだけど……」

充の名前を聞くと、しばらく考え込んでしまう。

4つ下の弟である充……容姿も要領もよくてさらに勉強もできて、女の子からも人気だった。

兄としては複雑な部分もあったが、それでも和樹にとっては誇りでもあった。

「うーん……部屋は一つ空いてるよな」

ただ、今の和樹は多忙だ、それに綾音も暇というわけではない。

何より、夫婦二人だけの空間に弟であっても、別の男を入れるのは気が進まなかった。

それでも、就職活動とあれば、協力してやりたいという気持ちも強かった。

「私は別に構わないけど……」

迷っていたが、綾音の一言が和樹の背中を押した。

せっかく充が頼ってきているなら、兄として頼もしい面も見せてやりたい。

「ありがとう。じゃあ、あいつに部屋使わせてやろう……ホテル代もバカにならないからな」

温められた料理を並べると、湯気と一緒にいい匂いが鼻に届き、空腹が刺激された。

「そう言うと思った、来週の頭に来るかもって言ってたから、それまでに片付けておくね」

「ああ、頼むよ……いただきます」

あつあつの煮物を口に運びながら、久しく会っていない充のことを考える。

あいつなら就職活動なんて大したことないだろう……そんなことを思いながら食事を始めた。

「どう? 今日はちょっと味付け変えてみたんだけど……」

「ん、すごくおいしい……綾音って本当に料理うまいよね、世界一だよ」

「……もう、褒めすぎ」

「いやいや、そんなことないって」

夜遅い時間だったが、綾音の料理だったらいくらでも食べられそうな気がする。

綾音の嬉しそうな顔を見て、和樹は改めて彼女と一緒になってよかった……と心底思った。

3 3月18日 午後10時40分

玄関に見慣れない男物の靴がある、そういえば、充が来るのは今日だったなと思い出す。

「おかえりなさい、あなた」

出迎えてきてくれた綾音と一緒にリビングに入ると、そこにはよく知った顔が。

「兄さん、久しぶり……悪いね、急に押しかけちゃって」

「別に気にしなくてもいいぞ、それより就活のほうはどうなんだ?」

「まあまあかな……手ごたえがないわけじゃないよ」

そう言った充の顔には自信のようなものが浮かんでいた。

和樹自身も就職活動に苦しめられたが、毎日不安に悩まされて、精神的に疲れきっていた。

その点、充はメンタルが強いのか、悩んでいる素振りすら感じられない。

「さっき話聞いたんだけど、充君、結構大きな会社受けてるみたいだよ」

食事の準備をしている綾音が間に入ってきた。

「そうなんだ、おい……どのあたり狙ってるんだよ?」

「いや、そんな大したところじゃないって……とか、あとは…………」

充の口から出てくる会社の名前は、どれも有名な大企業だった。

「すごいな…………どれもビッグネームばっかりじゃないか」

しかも、内定も狙えそうなところにまで食い込んでいるということで、弟の頑張りに、素直にすごいと思う反面、自分では狙うことさえできなかった会社に入ろうとしていることに、ある種の嫉妬を覚えてしまう。

(はあ……弟だぞ、嫉妬してどうするんだよ)

こんなことで自分と弟を比べても仕方がない、和樹はとっさに覚えた嫉妬を振り払おうとする。

「頑張ってね、充君……私も応援するから」

「あ、はいっ……お義姉さんに応援してもらったら、多分すごいやる気出ると思います」

綾音の一言で、はっと我に帰った。

自分が応援なくてどうするんだと……一瞬でもネガティブな感情を持ってしまったことを恥じた。

「兄さん、どうしたの?」

「あ……いや、何でもない。気にするな…………」

充が不思議そうな顔をして、和樹の方を見てくる。

とっさに目を反らしつつ、何か言った方がいいだろうかと考えていると、ちょうどいいところで、綾音がやってきて、出来上がった料理を並べ始めた。

「私も充君もご飯まだだから、一緒に食べましょ」

「そうなのか……充は待ってなくてもよかったのに、腹減ってるだろ?」

待ちきれないといった様子で料理を見ている充に、思わず苦笑してしまう。

「さすがにそれは悪いよ、世話になってる身なんだし」

「私も、先に食べたらって進めたんだけどね」

「そんなことに気使わなくても……まあいいか、いただきます」

食事の間……久しぶりに会った充とは大いに話が弾んだ。

そのとき、充がちらちらと綾音のほうを見ているのが気になったが。

向こうから見ても、綾音は目を惹く存在なのだろうとなんとなく嬉しくなった。

いろいろ比べられて劣等感を刺激されることも多かっただけに、綾音の存在は、さまざまな意味で和樹にとって救いになっていた。

「さてと……風呂、使わせていただきます。……あ、お義姉さん、肩に糸くずついてますよ」

食事を終えて、まったりしているところで充が立ち上がると、綾音に軽く触れた。

その瞬間、綾音はびくっと肩を強ばらせた、笑みを作るがそれもどこかぎこちない。

「あ……ありがと、充君」

そのまま立ち去る充、リビングには二人が残された。

「改めて話してみると……全然あなたとタイプが違うのね」

「……よく言われるよ、あいつのほうが目立ってたからな」

「嫉妬しちゃったりとかもしたの?」

「…………まあな」

ソファーにもたれかかったところで、綾音が小さく笑って隣に座る。

静まり返った部屋に二人きり……和樹の気分も自然と高まってしまう。

「綾音…………」

「だめよ、充君が…………」

抱き寄せ、綾音のいい匂いが鼻をくすぐった瞬間、身を強ばらせた彼女に拒まれてしまった。

考えてみれば当然のことで、和樹はその手を離した。

「そうだったな、ごめん」

「充君が就職活動終わって、あなたのプロジェクトも終わってからに……なるのかな」

「多分な……」

充が寝てから……とも考えたが、面接の準備があるということで、夜遅くになると聞いていた。

もっとも、綾音のことを考えれば、そんなことはとてもできなかったが。

ここ数日の激務で、疲労を感じていたにもかかわらず、ペニスは勃起している。

早く綾音がほしい……と心がざわつくが、理性がそれを押しとどめた。

「………………」

綾音は、この現状をどう思っているのか……ニュースを見る整った横顔に目を向けた。

タイミングが全く合わず、夫婦の営みはここまで一度たりとも存在していない。

お互いの気持ちはしっかりと向き合っているだろう……ただ、当然それだけでは満足できない。

薄桃色の唇にキスしたい……控えめな乳房の丸みに見しゃぶりつきたい……細く、華奢な腰を抱きたい、柔らかな曲線を描く尻をわしづかみにしたい。

そして……誰も踏み入ったことのない神聖な入り口に…………綾音がすぐ近くにいるからか、和樹の悶々とした思いはますます強くなっていく。

「……ふあ……っ、明日早いから、もう寝るね」

「ああ、おやすみ」

小さくあくびをした綾音が、少し眠そうな顔をしながら寝室の方に向かう。

その後姿を見送りながら、もう少しの辛抱だと自分に言い聞かせた。

4 3月23日 午前2時40分

「ふう……新記録だな」

トラブルの処理に追われて、ようやく帰ってくることができた。

リビングに明かりはついておらず、綾音もさすがに寝ているみたいだった。

ふと、充の部屋から明かりが漏れていることに気づく。

「充……まだ起きてたのか?」

「あ、兄さん……おかえり。

ちょっと前までお義姉さんも起きてたんだけどね」

「そうだったのか……メールしとけばよかったな」

本来なら遅くなるとメールすべきだったが残業中に携帯の電池が切れてしまい、綾音には連絡できないままだった。

「それより、寝なくていいのか?」

「もう寝るよ、面接のネタ考えてただけだから」

「こんな時間までか……大変だな」

時計を見れば、もう3時近かった。

和樹自身、社会人になってからこんな時間まで起きていたことはなく、眠気が襲ってくる。

「じゃあ、俺はもう寝るよ……充もあまり無理するなよ」

「ああ、おやすみ」

充の部屋から出たあと、足音を立てないように夫婦の寝室へ。

すでに綾音は熟睡しているようで、和樹が入ってきても起きることはなかった。

「ただいま……綾音」

着替え終わった和樹は、眠っている綾音の頭を撫でると替えの下着を取り出し寝室を出る。

眠かったが、せめてシャワーくらい浴びてすっきりしたかった。

「さすがに朝は起きられないよな……」

リビングのテーブルに、”明日は起こさなくていい、あと…連絡できなくてごめん”と書置きを残しておく。

綾音の顔を見れないのは残念だったが、3時間後に起きる自信はなかった。

メモをテーブルの上において、眠さをこらえながら風呂場に向かった。

朝……時計を見ると10時過ぎだった。

今日は午後からでいいといわれていたので、思いっきり眠ってしまっていた。

「あー…………もうこんな時間か……」

当然綾音はいないので、寂しい一日の始まりになってしまった。

リビングに行けば、充が新聞を読みながらテレビを見ていた。

「おはよう兄さん、食事テーブルの上にあるよ」

「……ああ、おはよう……綾音、何か言ってたか?」

「昨日は心配そうにしてたよ、連絡くらいしてあげればよかったのに」

「そうだったな……」

テレビを見ながら、綾音に対する申し訳なさが湧き上がってきた。

「考えてみれば、充の方が綾音と長い間いるんだな」

「兄さん、もしかして……心配してるの?」

「…………いや、そんなことはない」

綾音を疑っているわけではない、そういうわけじゃないと即答したかった。

しかし、和樹が仕事をしている間、二人が何をしているかなんて知りようがない。

(まさかな……綾音に限って、そんなことは)

「仕事忙しいのはわかるけど、たまには一緒にいてあげなよ……まだ新婚なんだからさ、きっとお義姉さんも心配してるよ」

「わかってるよ……どうしてもプロジェクトのほうが」

充の言いたいことは、和樹にも十分わかっていた。

今の生活は、あまりに綾音に負担をかけすぎている。

連日の残業、休日出勤……家事のほとんどを綾音に任せてしまっていた。

唯一の救いは、残業代が満額出ることくらいだろうか。

それでも、早朝から働く彼女も、自分と同じくらい疲れている可能性も高かった。

「仕事が落ち着いたら……俺も家事くらいちゃんとやるさ、できないわけじゃないからな」

「だからそれまでは……悪いけど、綾音の手伝いをしてやってくれないか?」

「それはわかってるよ、俺もお義姉さんには世話になってるわけだし」

充がいれば……多少は負担も軽減されるし、寂しさも和らぐだろう。

本来なら妻のサポートは夫の役目であり、それを弟とはいえ他の男にやらせてしまうのは、和樹にとっては不本意であった、やむをえないといえばやむをえないのだが。

「ありがとう、綾音もいろいろ大変だろうからな」

テレビでは、相変わらず代わり映えのしないニュースが映し出されていた。

それを流し見しつつ、綾音のことを考え始める。

仕事を捨てるなんて考えられないが、もっと綾音と一緒にいたい。

夫婦の営みすらないというのは、思っていた以上に和樹の心に影を落としている。

和樹が寂しいと思っているのなら、綾音もそれと同じはず……そして、和樹よりも、充と一緒にいる時間の方がずっと長い。

(何考えてるんだ俺は……充は弟だぞ、そんなこと)しかし、充の方が和樹と比べても格上ということを考えればあるいは……

「兄さん? 何ぼーっとしてるの?」

怪訝そうな顔をした充が、顔を覗き込んできている、ここでようやく現実に引き戻された。

弟に嫉妬してしまうなんて……恥ずかしいにもほどがある、和樹は一人反省した。

「あ、ああ……なんでもない、疲れてるのかな……」

充のルックスを考えれば、彼女の一人や二人くらいいるだろう。

その彼女を裏切ってまで浮気するのは、考えられない……和樹はよぎる思いを振り切る。

それよりも、今日の仕事のことを考えなければいけない。

プロジェクトもいよいよ佳境……成功するかどうかはこれからの頑張りにかかっている。

仕事のことを考えて、充や綾音に抱いてしまった疑念を心の中から追い出した。

5 4月17日 午後11時35分

プロジェクトは山場の最中……連日の残業で、和樹はすっかり疲弊しきってしまっていた。

その中でも綾音のサポートのおかげで、仕事に集中することができたのはありがたかった。

充も、就職活動で忙しいにもかかわらず、綾音を手伝ってくれている。

おかげで二人はすっかり打ち解けたみたいで、仲よさそうにしているところを何度も見た。

「ただいま」

リビングでは、綾音と充が隣り合ってソファーに座って、映画を見ているようだった。

いるなら出迎えてくれればいいのに……と思いつつも、映画に夢中になっていたなら、それも仕方ないかと考え、二人の邪魔にならないように寝室に着替えに向かおうとした。

「あなた、お帰りなさい」

「兄さん、おかえり」

和樹に気が付いたのか、二人が顔を向けてくる。

しかし、映画の方が大事なのか、すぐに顔を戻してしまった。

充がここで生活し始めてから一ヶ月が経過した。

その間、だんだんと綾音と充の距離が近づいていくのを見続けている。

最初は、お互い緊張した様子だったが、一週間、二週間経ち、それもなくなったみたいだった。

当初は相性がよくてよかったと思っていたが、仲がよすぎないだろうかと不安になってしまう。

綾音からすれば、夫である和樹よりも充と長い間一緒にいるから仕方がないのかもしれないが。

綾音に寂しい思いをさせるよりはましか…と思い直し、ソファーにもたれかかる。

「この映画知ってる? 綾音さん、大好きなんだって」

「知ってるよ、俺も何度か見てるから」

テレビを見れば。

和樹も何度か見た恋愛映画が放送されている。

情熱的なラブシーンもある映画だ、これを二人で見たのだろうか…………一度は思考を切り替えたものの、すぐにもやもやとしたものが心を支配していく。

(まさかな……綾音に限って)

本気で綾音が浮気しているなんて考えているわけではない、ただ妙に引っかかる。

充は和樹の弟、だから綾音も気を遣って振舞っているに違いない。

だが、画面の向こうの男女を見ていると、自分の見ていないところでは、充と綾音もああやって、男と女として親しくしている可能性もある。

ぬかるみのようにぐちゃぐちゃになった思考が渦を巻いて、頭の中にまとわりつく。

「……………」

綾音を疑ってしまうなんて、きっと疲れているんだ……そうに違いない。

ぼんやりと視線を窓のほうに向けていると、綾音が隣に座ってきた。

目が合うと、一瞬何か言いたそうな顔になったが、表情はすぐに元に戻った。

「どうしたの、綾音?」

「え…………ううん、何でもない……何でもないから」

「そうか? 何か心配そうな顔してたけど」

何でもないと言うなら、これ以上追及しなくても……と思うが、さっきの妄想が心の中ではまだ渦巻いていた。

だからさらに踏み込んでしまった。

「平気よ、気にしないで」

「……わかった」

本当に気のせいだったのか、綾音はそれ以上何も話さなかった。

「あれ、それ……ピアス? 綾音がピアスつけてるの、久しぶりに見た」

「もう、気づくの遅すぎ。お掃除していたらたまたま見つかったから」

「ごめんごめん、久しぶりだったから」

沈黙が支配しつつあった場を変えたくて、話題を変える。

綾音の顔が少し明るくなったので、和樹も安心した。

「…………………」

充に見つからないように、さりげなく手を握ると、綾音も握り返してきてくれた。

恥ずかしそうに微笑む綾音、それを見ているだけで愛されてる実感が沸いてくる。

一方、充は空気を読んだのか、無言で立ち去った。

(あいつがいなければ、このまま…………)

弟の就職活動を応援したい気持ちはあるが、綾音との生活は邪魔されたくなかった。

和樹からすれば、気にしないでしてしまうという手もあるが、恥らう綾音が戸惑い、拒否する以上それをするつもりはなかった。

「あなた…………」

綾音がもたれかかってくる、風呂上りなのか、ふんわりとリンスの匂いが漂ってきた。

さっきまで少しいい雰囲気だっただけに、あっという間に下半身に血が集まってしまう。

(だ、だめだ……これ以上されたら)このままだと理性を失って押し倒しかねない、そして前に拒まれたことを思い出す。

「ふ、風呂沸いてるよな……ちょっと入ってくる」

空気を変えようと、いきなり立ち上がる、綾音はきょとんとした顔をしていた。

「あっ、う……うん、最後……お湯抜いてくれる?」

「わかった、やっとくよ」

もしかして、今日は大丈夫だったのだろうか……と考えるが、充がまだ起きてることを考えればありえないだろうとそのまま風呂場に向かった。

その日は夢を見た。

夢の中では、裸の綾音と抱き合っていた。

夢だからか、その感触ははっきりとせず、どんな裸かもはっきりとは見えなかった。

そのまま和樹は綾音を優しくベッドの上に押し倒し……二人は結ばれた。

綾音は苦しそうな表情を浮かべ、それでも和樹に笑いかけてくれる。

声を押し殺しながら、苦痛に耐えていた綾音の顔が、次第に和らいで行き……

「…………何だ、夢か」

ここで目が覚めてしまう、とんでもない夢を見てしまったと自己嫌悪に陥る。

ぼんやりとした頭のまま時計を見れば、まだ3時半だった。

「綾音……いないのか?」

隣に寝ているはずの綾音がいないことに気が付いた。

トイレか何かだろうと、眠たいままの頭で考え、再び眠りについた。

6 4月24日 午前6時20分

出かけようとしている綾音を、いつものように玄関で見送る。

少し前に悩んでいるような顔をしていたが、今はいつも通りの明るい顔をしていた。

(結局、なんだったんだろうか……)

夫婦であったとしても、心の中まで知ることはできない。

だから、もし綾音に何か悩み事があったなら、それを知りたかった。

「…………最近、少しおしゃれになったな」

「わかる? 少しイメージチェンジしてみたの」

私服で通勤している綾音だったが、今まではラフな格好で出かけることが多かった。

しかし、今日は短めのスカートをはいており、露になる細めの脚のラインに見とれてしまった。

上の方も、身体の線がぴったりと出ている服を着ていて、いつもと雰囲気が全く違う。

「似合ってるよ、でも……ちょっと派手じゃないか?」

「そんなことないと思うけど……充君にこういうのも合いそうだって言われて」

鏡に自分の姿を映しながら、少し恥ずかしそうに笑う綾音。

「あいつが言ったのか……なるほどな」

充が、綾音の美しさを見出し、引き出したような気がして悔しくなってしまう。

「あなたが嫌だったら、明日から普通の格好で出かけるけど」

「綾音がよければそれでいいさ、似合ってるのは確かだからね」

「ありがと、じゃ、いってきます」

「ああ、いってらっしゃい」

ドアノブに手を書けた綾音から、ふわりと香水の匂いが漂い、鼻をくすぐった。

(あんな香水……持ってたっけ)

綾音を見送りながら、和樹はふとさっきまでの会話を思い出していた。

結婚してから、つい先月まで、二人の関係に何も不満を感じることはなかった。

確かに、一度もセックスしていないのは悩みだったが、それはお互いの仕事が忙しいからで、和樹の参加しているプロジェクトが終われば、綾音のペースに合わせて生活することができるから、問題には思っていなかった。

「綾音…………」

しかし、充が来てから……少なくとも和樹の生活は一変した。

まずは、和樹と綾音の距離が縮まるよりもずっと早いペースで二人が近づいていること。

これは、慣れない環境で生活をしている充を綾音が気遣っているからかもしれないが……口に出すことはできなかったが、和樹からしてみれば気分のいいものではなかった。

ファッションにまで口を出されると、知らないところで自分の妻が作り変えられていくようで……綾音が自分のものでなくなっていきそうな気がしてきた。

「まさか、いや……そんなことは…………」

変なことを考えてしまうのは疲れてるから……和樹はそう理由付ける。

リビングに戻ると着替え終わった充がいた。

「おはよう、兄さん……相変わらず早いね」

「ああ、おはよう。こうでもしないと綾音と一緒にいられないからな」

そういえば、今日は大事な面接があるということを話していたのを思い出す。

何か声をかけてやるべきなのかもしれないが、さっきの妄想が頭をもたげてしまう。

いっそのこと直接問い質そうかとも考えるが、証拠がなければそれも無意味だろう。

「今日、面接なんだよな……頑張ってこいよ」

混乱しつつも、かろうじてそれだけ声をかける、充は、和樹の苦悩には気づいていないようだ。

真新しいスーツに身を包んだ充がリビングから出て行く。

見送ってやるべきだろうが、充の顔をまともに見ることはできず、その場に立ち尽くした。

夜……和樹が帰ってくると、綾音と充が二人して開いたノートパソコンを見ていた。

「ただいま…………」

前に、二人が映画を見ていたときの光景を思い出す。

気のせいだろうか、あのときよりも距離がさらに縮まっていたような気がする。

二人は近くにいる和樹に気が付かないのか、こっちを向くことはなかった。

「………………」

邪魔をしてはいけないと、そっと寝室に入る。

着替えている間も、二人のことが気になって仕方がなかった。

(俺よりもずっと、あいつの方が綾音と…………)

綾音がそんなことをするはずがない、そう信じたかった。

だが、男としてのスペックなら和樹よりも充の方が上ということもあり、不安は膨れ上がる。

はっきりと自分の気持ちを口にすれば、どんなに楽かもしれない。

ただ、嫉妬しているなんて思われたくなかった……特に綾音には。

「おかえりなさい、ごめんね……気が付かなくて」

部屋の中で悶々としていると、綾音がドア越しに声をかけてきた。

「……別にいいよ……何見てたの?」

「えっと…………充君が今度受ける会社のホームページ見てた、どんなところか知りたかったから」

綾音が少し返事に詰まったような気がしたのは、さっきまでよくない想像をしていたから……和樹はそう自分に言い聞かせる、綾音を信じるために。

「今日もご飯、いらないんだったよね……」

「ああ、取引先の人と一緒に済ませてきたからね」

「……………………」

綾音が中に入ってきた、お風呂上がりだったのか、頬に赤みが差していた。

「どうしたんだ?」

「うん……ちょっとね」

そろそろ寝るつもりなのか、ベッドに仰向けに横になる綾音。

タンクトップにショートパンツという露出の多い格好、前に綾音が肌を晒すのは恥ずかしいといっていたのをふと思い出した。

これも充が言い出したからなのか……余計に疑ってしまう。

「……………………」

室内は沈黙に支配される、綾音の様子がいつもと違う。

さりげなく表情を見れば、また何か言いたそうな顔をしていた。

いつもの明るさはそこにはなく、落ち着かない視線が和樹の方を向いている。

「何かあったのか?」

もしかして仕事のことだろうか、綾音の悩みといったらこれしか思いつかない。

もう一つ、充のことも気がかりだったが…………そっちのほうだとは思いたくない。

和樹もベッドに腰掛けると、不意に手を握ってきた。

「あなた…………」

綾音を見ると、目を潤ませてじっとこっちを見ていた。

「おいおい、どうしたんだよ、大丈夫か?」

具合でも悪いのか……切なそうな顔をして、しかしその表情は色気をたっぷりと含んだもので、見てるだけで魅入られそうになり、和樹はごくりと生唾を飲み込んだ。

「あのね…………」

いつになく歯切れの悪い綾音、言いづらいならこっちから切り出した方がいいのかとも考える。

「仕事のことか……? 悪いな、いつも大変な思いさせて」

「え…………?」

そっと綾音が聞き返したことに、和樹は気が付かなかった。

「しばらくすれば、多分ちょっとは一緒にいられる時間長くなるだろうし……」

「…………そ、そうね。ありがとう」

綾音が小さく笑う、悩みというのはもっと一緒にいたいということなのかもしれない。

「充も、あと1ヶ月もすればいなくなるだろうから、そうしたら……」

「うん………………」

これが綾音の求めていた答えかどうかはわからなかった。

「………………」

「………………」

また、いい雰囲気になってしまう。

このときばかりは充を受け入れたことを後悔する。

あいつさえいなければ、すぐにでも押し倒して…綾音の処女を……

「もう、寝るか? 明日も早いんだろ?」

聞かれてしまえば、綾音が気まずくなってしまう……それだけは避ける必要があった。

ぴったりとくっついてくる綾音からさりげなく離れると、向こうもそれを察して距離をとった。

「…………」

綾音はうなずくとタオルケットをかぶる。

和樹は寝かせてやろうと、そっと寝室を出る。

ドアを開ける瞬間、綾音から向けられた視線に気が付く、そして何か声が聞こえてきた。

悲しそうな、今にも泣き出しそうな、しかし…気のせいだったのかすぐにもとの顔に戻った。

「綾音、何かあったのかな……」

何を言ったのか少し気になったが……聞き返すほどではないとドアを閉める。

充は明日の準備があるとかで部屋にこもりきりだった。

和樹からすれば充は弟だが、綾音からすれば他人も同然だ。

もしかしたら知らないうちに負担をかけてしまっているのかもしれない。

「休みが取れれば、いいんだけどな……」

カレンダーを見るが、今週も来週も多分土日は会社に行かなければならないだろう。

夫婦とはとてもいえないような関係がもうずっと続いている、そしてそれは、充が来てから急激に加速しつつあった。

もちろん、綾音への愛が変わることはないが……綾音も同じ気持ちかどうかはわからなかった。

「ふああ……休みの方は、何とかしてみるか」

ソファーでぼんやりしていると、だんだんと眠くなってきて、そのまま眠りに落ちてしまった。

「ん……ふう、寝てたのか」

目が覚めると3時過ぎだった、起きたもののまだ眠気がひどくこのまま寝ていたかった。

しかし、風邪を引いてしまうのはまずいということで、ベッドまで身体を引きずる。

「…………綾音?」

ベッドに倒れ込むと、綾音がいない。

トイレか、それともシャワーでも浴びているのだろうか。

心配だったが、それよりも眠気の方がはるかに強く、探しに行く気にはなれなかった。

「んー…………」

次第に意識がなくなっていき、再び眠りの世界に引き込まれる。

7 4月30日 午前0時00分

綾音のことは気になっていたが、それ以上に会社でトラブルがあったせいで仕事が忙しく、ここ数日はまともに話すらしていなかった。

今日は早く帰って来れたくらいだった。

いつもは綾音と一緒に起きて、朝食を取ってそれから二度寝……という生活だったが、朝は起きることができず、帰ってくる頃には綾音は眠っていた。

それでも充が話し相手になっているみたいで、寂しく思ったりはしていないみたいだった。

もっとも、綾音にとっては救いだったが、和樹にとっては素直に喜べることではなかったが。

だが、今日は運良く早く帰ることができた、当然まだ綾音も起きているはず。

「おかえりなさい、あなた」

ドアを開けると、明るい表情で綾音が出迎えてくれた。

この笑顔を見るだけで、一日の疲れが取れていくような気がした。

ほんの一週間前は、悩みを顔に浮かべていたが、今日はそれも見えない。

「……どうしたの?」

「いや、別に……ちょっと前に、何か言いたそうだったのを思い出しただけだよ」

「……………………」

話し終えたところで、綾音は黙り込む。

「え? そんなことないけど……」

しかしすぐに笑顔を作り、なんでもないそぶりを見せていた。

嘘をついているわけではなさそうだった、本当になんでもなかったのかもしれない。

そう考えると、すーっと身体の力が抜けていった。

(綾音が浮気なんて……ありえないよな)「そうか、俺の思い過ごしだったみたいだな」

一瞬でも綾音を疑ったことを申し訳なく思いながら、ソファーに座り込む。

「今日はご飯まだでしょ? すぐに用意するから」

キッチンの方では、綾音が食事の準備をしており、和樹はその後姿を眺めていた。

(あんなパジャマ持ってたかな……?)綾音はネグリジェのようなものを着ていた、薄手の布地で、身体の線が浮かび上がっている。

かわいらしい綾音であっても、妙に色気たっぷりに見えて、思わずじっくりと眺めてしまう。

「綾音……それ、似合ってるよ。でも、そんなの持ってたっけ?」

和樹が褒めると、料理をテーブルに置いていた綾音が恥ずかしそうに笑った。

「本当? こういうの好きじゃないって思ってた」

「そんなことないよ、いつもより大人っぽくて……すごく綺麗だ」

「………………ありがと、でも褒められると照れちゃうな」

落ち着かない様子で恥らう様子を見ていると、性欲に火がつくのがわかった。

料理が並べられると……洋食メインの、充の好物ばかりだった。

普段は食卓に出ない物ばかりだったので軽く戸惑ってしまう。

「あれ……今日は珍しいな」

「あのね、充君が第一志望の会社の面接今日だったんだって、その前祝い」

夜に食べると胃もたれしそうだったが、綾音が作ってくれたことを考えれば、食べないという選択肢は和樹にはなかった。

「前祝いがこんなに豪華だったら、内定もらったらどんだけ豪華になるんだ?」

「そのときは、あなたの好きなものもいっぱい作るからね」

「期待しとくよ、そのときは早く帰れればいいんだけど」

綾音が箸をつけないところを見ると、すでに充と食事を済ませているのだろう。

二人きりだと、どんな話をするんだろうか……追い払った考えが再び頭をもたげる。

それと同時に、ネグリジェから透ける肌色に目が移ってしまう。

綾音が身体を少しずらすたびに、肌色が濃くなったり薄くなったり……ブラをつけていないようで、桜色の乳首も布越しにその顔を覗かせていた

「大胆な格好だよな、それ……まさかそれも充の好みだったりして……」

「っ……! そ、そ……それは、ないんじゃないのかな?」

何気なく言ったのだが、妙にうろたえる綾音。

まさか本当に…………

「それよりさ、明日は早く帰ってくるの?」

「明日か……どうだろ、トラブルの方は一段楽したし、もしかしたら、かな」

「そう…………よかった、早く帰ってきてね」

うまく話をはぐらかされてしまい、これ以上聞き出せない雰囲気になってしまう。

「今日は俺が皿洗うよ、ずっと、手伝えなかったし」

「いいの? じゃあ、お願いしちゃおうかな」

たまには家事もしないといけない、疲れていてもそれは綾音も同じと思ったからだ。

一枚一枚皿を洗っていると、意外と面倒で、彼女に甘えすぎていたと反省する。

(早く帰れればな……俺が食事作ったりとかもできるのに)プロジェクトに全力を尽くせるのも、綾音のおかげだった。

終わったら、妻孝行する必要があるな、としみじみ考えてしまう。

「………………」

考えながら皿を洗い続けていると、いつの間にか全部洗い終えていた。

「よし、終わり」

「ごめんね……私がしないといけないのに」

「綾音だって仕事してるんだから、このくらいは当然だよ」

ソファーに身を預けてニュースを見ている綾音。

露になった白い太ももに目を向けながら、思わず抱きついてしまった。

「きゃっ……どうしたの、急に」

「ごめん、その格好、いやらしいからさ……つい」

まだ充も起きているだろうから、最後までしようとは思っていない。

それでも、キスくらいなら……と考え、顔を近づけるがあっさり避けられてしまった。

「何だよ、キスもだめなのか?」

「そういうわけじゃないけど、充君のことが気になって」

「…………そうだよな、ごめん」

「ううん、気にしないで……充君ももう少しで終わるみたいだから、二人っきりになったら、ね?」

身体を押し戻されると、スキンシップまで拒まれたようで残念に思ってしまう。

仕方なく身体を離したら、綾音は逃げるように寝室に向かった。

「はあ……あと少し、か」

すぐに後を追うのはなんとなく気まずい、和樹はその場にとどまらざるを得なかった。

プロジェクトの方は順調に進んでいる、だから何の心配もしなくていい。

問題は充だった、和樹がいない間に綾音に何かしているんじゃないのか。

服装が微妙に派手になったのも、充の影響なんじゃないだろうか……流れているニュースもどこか他人事だった。

「いっそ隠しカメラでも……それはまずいか」

綾音を信用していないなんて知ったらきっと悲しむだろう。

それに……その先に受け入れられない現実が待っている可能性もある。

たとえ浮気されていたとしても綾音とは別れたくなかった、まだ愛していたから。

翌日……和樹はいつになく機嫌が良かった、時計を見るとまだ夜の9時。

こんなに早く帰れたのは本当に久しぶりだった、あえて連絡しなかったからきっと驚くだろう。

そう思って玄関のドアを開ける。

「ただいまー」

何の反応もない、鍵がかかっていたが、もしかして出かけているのだろうか。

リビングに行くと、綾音も充もいない……しかし…………「あの、どちらさまですか?」

封筒を抱えた見知らぬ女性が椅子に座っていた。

「…………あっ、すみません! 私、充さんに頼まれて、荷物を届けに来たんです。あの、あなたは…………もしかして」

どうやら充の知り合いのようで、厚めの封筒を脇に置いて和樹に視線を向ける。

よくよく見ると、綾音とは全くタイプの違うかなりの美人だった。

背中の辺りまであるつややかな黒髪、くりくりとした大きな瞳……すっと通った鼻筋に、真っ白な…陶磁器を思わせる肌、瑞々しい唇……そして何より目を惹いたのは、大きく張り出し、存在感をアピールしている乳房だった。

思わずそこに視線をぶつけてしまうが、変に思われたくなくて、和樹はすぐに目を外した。

「……充の、兄ですが……」

「あ、やっぱり……ちょっと似てますよね、そういえば」

「ええと……あなたは?」

「すみません……充さんの彼女です…………大月佳奈美といいます」

「そうだったんですか……」

充にこんな美人の恋人がいたなんて知らなかった。

美貌だけで言えば綾音より上かもしれない。

佳奈美の美しさに気後れしつつも、折角来てくれたお客さんということで紅茶を用意する。

「大月さん、綾音と……充は?」

「綾音、さん? 私が来たときは充さんだけでしたが……あ、ありがとうございます」

ソファーに座った佳奈美にカップを手渡すと、彼女がそれを受け取る。

その瞬間、指先がわずかに触れた、細く柔らかい指の感触に慌てて手を引っ込めた。

「充さん、急用ができたからって私に留守番しててくれって言うんですよ」

「あいつ結構自分勝手なところあるから……ごめんね?」

「……こちらこそすみません、勝手に上がってしまって」

伏し目がちで恐縮したままの佳奈美、気まずい時間がすぎる。

話を聞いている限りでは、綾音はまだ帰ってきていないようだった。

二人に電話してみると、つながるのだが出る気配はなかった。

「連絡はつかないみたいだな……どこで何してるんだか」

佳奈美のほうも、充と連絡を取ろうとしているのか、携帯を見てため息をついていた。

「………………」

「………………」

二人して連絡がつかないということが、和樹の気持ちを苛立たせる。

(綾音は、仕事なんだよな……充とどこかに行ってたりしないよな)前に綾音に聞いたが、基本的に残業はないとのことだった。

それなら、とっくに帰ってきている時間なのだが……不安が心の中を黒く満たしていく。

仕事ばかりの自分に愛想を尽かしてしまったのか、充に乗り換えるつもりなのか……綾音が何を考えているのか、わからなかった……わかりたくなかった。

「あの………………」

考え込んでいると、不意に佳奈美が話しかけてきた。

なんだろうかと顔を上げた瞬間、いきなり向こうから抱きついてきた。

「え、大月さん、ど……どうしたんですか!?」

こんなところ、綾音に見られてしまったらと思うと…引き剥がそうとしても力が入らない。

「充さん、浮気してるかもしれないんです…………全然会ってくれませんし、電話や、メールだって……」

「だ、だからってこんなことは……綾音が、妻が帰ってくるかも」

柔らかな乳房、リンスの香り、すぐ近くに感じられる暖かな吐息……次第に失われていく和樹の理性、それでも綾音のことを思えば踏みとどまることができた。

「寂しいんです、少しでいいから……お兄さん…………」

「いやいや、寂しいからって……」

しがみつく佳奈美、むにゅむにゅとつぶれる乳房が心地よくて、ペニスは完全に勃起していた。

それでも、綾音に申し訳ないということで、何とか佳奈美を振りほどくことができた。

泣き始める佳奈美、悪いとは思いつつも浮気だけは絶対にできなかった。

「ひっく、ぐすっ…………私って、そんなに魅力ないですか?」

「ごめん……でも、充が浮気してるからって同じことしちゃうのは……」

佳奈美にもいろいろあるのだろう、さすがに充に怒りを覚えてしまう。

「まったく……君みたいな人を泣かせるなんて、充の奴……」

「いいんです、充さんには、何も言わないであげてください」

一言言ってやろうかと思ったが、佳奈美はそんなこと望んでないみたいだった。

それに、言えば彼女の立場も悪くなってしまうだろう。

「大丈夫、あいつには何も言わないよ」

「……ありがとうございますっ」

もう一度佳奈美が抱きついてくる。

さらに彼女の手がなぜかペニスの方に触れていた。

「だから、抱きつかなくてもいいから」

そういう癖でもあるのか、佳奈美は甘えるように和樹の胸に顔を預けている。

それに悶々とした思いが強くなってしまい、押し倒す寸前にまで気持ちが追い詰められた。

「ただいまーっ!」

そのとき、玄関の方からいつもの明るい声が、密着する佳奈美を何とか元の体勢に戻し、何事もなかったかのようにしていると、綾音と充が荷物を抱えてリビングに入ってきた。

「あなた……もう帰ってたんだ、今日は早いね」

「おかえり……二人とも、どこ行ってたの?」

「あのね、今日仕事でトラブルがあって、ついさっき終わったところなの……それで、お買い物してたところで偶然充君に会って……「で、俺が綾音さんの買い物を手伝ってたってわけ……」

「充さん…………」

佳奈美がおずおずと充に話しかけるが、どこか不安そうな表情を浮かべていた。

それとは対照的に、充は明るい様子で佳奈美に笑いかけるのみ。

「悪い悪い、留守番頼んじゃって……大丈夫だった?」

「えっ…………た、多分……」

「そうか、そりゃよかった……兄さんには何もされなかった?」

返事が妙な気がしたが、充は何とも思っていないようで軽口を叩く。

「おいっ、俺をなんだと思ってるんだよ」

「そうよ……まったく、充君ったら……」

人の気も知らないで……と、反論すると綾音もそれに乗っかってきた。

「ごめんごめん、冗談だって」

何かをしたわけではないが、何かはされてしまっていた。

綾音の顔を見ると罪悪感が甦る。

「充君、この人がさっき言ってた……?」

「はい、僕の彼女です、なかなかの美人でしょ?」

「大月佳奈美です……」

佳奈美は立ち上がると綾音に向かって小さくお辞儀をした。

「さてと、じゃあ僕はまた出かけますんで。

せっかく佳奈美が来てくれたんだから、たまには二人で出かけないとな」

充が佳奈美の手を取ると、佳奈美は恥ずかしそうに和樹と綾音を見る。

「今日はご飯いらないんで、久しぶりに二人っきりの夜を過ごしてください」

「ちょっと……もう、やだっ……」

綾音が顔を真っ赤にして、和樹を見る、そんな目で見られたらこっちまで意識してしまう。

「すみません、失礼しました」

手をつないだまま、佳奈美は申し訳なさそうな顔をして、もう一度頭を下げた。

さっきまで泣きじゃくっていたのが嘘みたいに落ち着いた顔をしている。

根拠はないのだが、あれは演技だったのかと思ってしまうほどだった。

(いや、充が優しくしてくれたから嬉しかっただけか)

佳奈美も充を許したみたいだったので、とりあえず一安心する。

「………………」

玄関の方まで向かう充と佳奈美をぼんやりと見続ける綾音。

「どうした? そんなにぼーっとして」

「え、なんでもない……二人きりなんて、久しぶりだなって」

充が来てからだから、およそ1ヶ月ぶりになる。

愛する妻と二人きりと言えば、することは一つなのだが…………

「待ってて、今ご飯作るから」

抱きすくめようとしたところで、綾音は身をかわしキッチンの方に進んだ。

充がいないのに、拒む必要はあるのか……自分とはしたくないのかと悪く捉えてしまう。

(いや、考えすぎ……だよな)

小さな後ろ姿を見ながら、まだ押すべきかとも考えるが、夜は長い……食事が終わってからでもいいだろうと思考を切り替え、食事ができるのを待った。

食後、和樹が洗い物を終えると、綾音がソファーに座ってドラマを見ていた。

隣に座ると、綾音がそっともたれかかってきた。

「…………あなた……」

「ん、どうしたんだ?」

押し付けられる小柄な身体、控えめな乳房が押し付けられると気持ちが引き上げられる。

(きょ、今日はさすがにいいよな……二人なんだから)

「綾音……そろそろ、ベッドに…………」

「ごめんなさい、今日は、疲れてるから……」

綾音はもたれかかったまま、申し出を断る。

「え……あ、そうか、わかった」

早朝からさっきまで仕事をしていたんだから、疲れてしまっても仕方がないだろう。

残念だったが、綾音が拒否するのなら、これ以上迫ることはできなかった。

「明日は、休みだから……もし、あなたが早く帰ってこれるんだったら……」

「ごめん、たぶん明日は…………」

ここまでのチャンスはめったになかったが、明日は打ち合わせやらなんやらで、帰ってこれない可能性が高かった、タイミングが合わないことに落胆してしまう。

「そう…………ねえ、私たちって……本当に夫婦なのかな?」

「えっ、綾音……一体何を……」

「ごめんなさい、そういうつもりじゃないの……ただ…………」

綾音の言いたいことはなんとなくわかる、一度もしていないのを気にしているのだろう。

それなら……とも思うが、仕事があるなら無理をするわけにはいかないのだろう。

それは和樹も同じだった、タイミングが全く合わなくて、気がつけば半年以上経っていた。

「ただ………何?」

「……………………」

うつむいたまま押し黙ってしまう綾音。

やはり何か悩みがあるのだろうか……以前にも、綾音が悩みを抱えていそうな顔になっていたことを思い出してしまった。

「何かあるんだったら言ってくれ、夫婦なんだから隠し事はしてほしくないな」

本当は無理やりにでも聞きだしたかったが、そんなことをしてしゃべってくれるとは思えない。

だから、向こうから話してくれるのを待つしかないのだが……

「何でもない、ごめんね、変なこと言っちゃって……気にしないで」

(気にしないでって言われてもな……)

先に思わせぶりな態度をとってきたのはそっちじゃないか…と和樹は言いそうになってしまう。

話は終わりと言わんばかりに、綾音は寝室に引っ込む。

後に残された和樹は、何ともいえない悶々とした気持ちを抱えたままにさせられた。

「どういうつもりだよ……綾音のやつ…………」

自分の知らない別の顔があるんじゃないだろうか……心の奥で蓋をしたはずの疑問が少しずつ膨れ上がりつつあった。

8 5月7日 午前11時30分

ゴールデンウィークも、当然のように毎日働かされてしまった。

もらえた休みはたった一日だけ、和樹は疲れを癒すようにソファーでゴロゴロしていた。

「一人っていうのも面白くないな……」

綾音も休みだったらどこかに行けたらと思っていた。

せっかくの休日をテレビを見るだけというのはあまりに味気なかった。

「はあ…………つまらん」

この時間帯はたいした番組もやっておらず、スイッチを切ってしまった。

と、そのとき電話が……面倒だったが大事なようだと困るので受話器を取る。

「もしもし……澤口です。あ、いつも妻がお世話になっています」

電話をしてきたのは綾音の会社の上司だった。

「え……有給? 仕事に行ったのでは……?」

綾音が有給を取っているなんて全く知らなかった。

さらに、ここ何週間で何日も、何かあったのか……という連絡だった。

和樹の心の中が、不意にどす黒いもので満たされていく。

「すみません……よく言っておきますので」

「え、いや……その、私も仕事が忙しいもので……はい、もしかしたら、実家の方で何かあったのかもしれません」

「はい…………はい、わかりました……」

それだけ言って電話を切る、今の和樹は何も考えられないくらいに混乱していた。

(どういうことなんだ……どうして…………)

急に胃の中から何かがこみ上げてきたような気がした。

今までも全く疑わなかったわけではなかったが、本当に小さな疑念だった。

しかし、綾音が嘘をついていたという事実を突きつけられ、その疑惑は一気に膨れ上がった。

吐き気を感じつつ、どうすればいいのか考える。

(有給なんて……まさか本当に充と、でも充には……)

充には彼女がいる、それなのに、よりによって綾音と浮気なんてするだろうか。

ただ、ここしばらくの綾音と充の様子にはただならぬものがあった。

綾音にしてみれば、和樹よりも充と一緒に居るほうがずっと長い、もしかしたら、仕事ばかりの自分に嫌気が差してしまったのかもしれない。

「……こんなことなら、プロジェクトなんて……くそっ!」

もちろん、仕事の話ということからすれば断ることなんてできなかっただろう。

しかし、綾音を失ってもいいほどの価値を見出せるものではなった。

こうなるとわかっていたら、充との同居を断っていた、仕事の量も減らした……自分だけのせいではない……和樹はそう考えるが、最初にきっかけを作ったのは自分だ。

「綾音…………まさか、今日も……」

慌てて携帯を取り出すが、手がうまく動かない、何度も手を滑らせ落としてしまった。

必死になってボタンを押し、綾音に電話をかけるが、電源を切っているようだった。

「仕事、だよな……仕事だから、電源切ってるんだよな……」

震えが止まらない、今、この瞬間も充と愛し合っているのかもしれない。

綾音が愛しているなら、身を引くというのもありだろう。

しかし、そんな簡単に諦め切れなかった、ずっと一緒に居ると約束した、子供は3人くらい作りたいと話したこともある、プロジェクトが終わったら、久しぶりにデートしようと言ったことも……全てが崩れ落ちていくような感覚、それでも、綾音のことを信じたかった。

「嘘、だ……嘘だ、そうだ……嘘に決まってる。

たまたま用が重なっただけだ、もしかしたら仕事が嫌になっただけかも」

寝室まで行くと、綾音の使っているクローゼットを調べる。

(証拠がなければ、多分俺の思い過ごしだ、そうに決まってる)

しかし、特に怪しいところはなかった。

そのままタンスも一番上から開けていく。

二番目、三番目……順番に中を見るが、特に変わったところはなかった。

一番下は鍵がかかるようになっていて開けられなかったため、諦めざるを得なかったが。

「落ち着け……落ち着け……」

他の場所も探そうとしたところで、自分の考えに何の根拠もないことに和樹は気づく。

そもそも充と綾音が浮気しているなんて、自分の思い過ごしかもしれない。

普通ではないことが続けて起こったからといって、それを結び付けてはいけない。

そう思い始めるとだんだんと落ち着いてくる。

「一人で勝手に盛り上がって、馬鹿みたいじゃないか……そもそも、綾音が浮気なんて……」

有給を取っているのも、本当に綾音の実家の方で何かあっただけかもしれない。

綾音に限って浮気なんてありえない、あってはいけない……妻を信じるべきだ、信じないと……言い聞かせているとだんだんと気分も良くなってきた。

「と、とりあえず……有給の話だけは聞いておかないとな」

もし、本当に充と浮気していたら、そう考えるとこれすらも聞く気が起きなかったが。

ただ、綾音の言葉にすがりたかった、一言、なんでもないと聞くことができれば、きっと元通りになれるはずだと、和樹は強く思い込む。

「綾音……嘘、だよな……俺は、信じてるから……」

発した言葉はずいぶんと薄っぺらく、空虚なものに聞こえた。

「…………あなた、あなたっ」

「ん………ああ、綾音か」

いつの間にか夕方になっていた、すっかり寝てしまっていたようだった。

綾音も帰ってきたようで、心配そうに和樹を見ていた。

「顔色悪いけど……どうかしたの?」

顔色が、悪い……和樹は、昼間のことを思い出す。

聞かなければいけない、疑い続けて綾音と一緒にいることはできない。

こんな思いを抱えたまま夫婦として生活していけるほど、和樹は打たれ強くはなかった。

「あのさ……ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「え、どうしたの?」

綾音の顔を見るが、平常心そのものといった表情だった。

浮気が全く後ろめたくないのか、それとも本当に何もなかったのか……わからなくなってくる。

「今日のことなんだけど…………」

ここまで言いかけたところで、いきなり充の声が聞こえてきた。

「ごめんなさい、充君が呼んでるから」

急ぎ足でリビングの方に向かう綾音、夫である自分よりも、充を優先されたことに、和樹は不信感をさらに強く覚えてしまう。

大事な話をしようとしているのに、夫よりも優先する男がいるということ自体が許せなかった。

(充は、何の用なんだろうか)

もしかしたら、綾音を求めているのかもしれない。

和樹の脳内で、恋人同士のようなスキンシップを取り合う二人のイメージが浮かぶ。

やがて二人は舌を絡めるような口付けをし、充が綾音の小さな身体を押し倒す……

(くそっ、やめろっ!)

イメージを消し飛ばすように、頭を左右に強く振る。

何かあるとは思えない、綾音がそんな人間だなんて信じられない。

綾音を信じようとすればするほど、身体の奥底から嫌な考えばかりが湧き上ってくる。

これを止めたかった、だから綾音から”何でもない”という言葉が聞きたかった。

「あなた、それで……聞きたいことって何?」

思考の渦に巻き込まれ、今にも飲み込まれそうになっていることを綾音が引き上げてくれた。

「あ、ああ……今日、有給とってたんだって? 会社から電話があった」

ここまで言ったところで、綾音を見る。

狼狽や驚愕は一切見られなかった。

「ごめんなさい、今日、実家の方で急用があったの。あなたに連絡しておけばよかったけど、本当に急だったから」

綾音の返事は、和樹が一番聞きたいものだった。

思わず泣きそうになってしまい、それをごまかすために綾音に抱きついた。

「きゃっ……どうしたの、急に……」

「……何でもない、何でもないから」

おそらく思い過ごしだった、綾音は嘘をつくのが上手なタイプではない。

後ろめたいことをしていたなら、あんなに堂々とはしていないはず。

今まで疑ってきて申し訳ない気持ちと、何もなくて本当に良かったという気持ち……二つがごちゃごちゃになって、ただ、無性に綾音に甘えたくなった。

「心配、かけちゃったかな。本当にごめんね……」

涙をこらえきった和樹は顔を上げる、綾音が小さく微笑んでいた。

疑うべきことは何もないとわかった途端、急に恥ずかしくなり、綾音から少し離れる。

「そういうわけじゃないんだ、仕事ばっかりで……疲れてたのかもな」

仕事続きだったから、あんな妄想に囚われてしまったのかもしれない……今までの自分はなんだったのだろうか、和樹は妻を疑ったことを強く恥じた。

そして、何があっても綾音を信じ続けようと決意した。

「ずっと遅かったから、しょうがないよ。まだ寝てる?」

「いや、もうたっぷり寝たから」

立ち上がり、顔でも洗おうと洗面所のほうに向かうと、ちょうど部屋から出た充と鉢合う。

「兄さん、久々の休みはどうだった?」

「ああ、一日中寝てた、社会人の休みなんてこんなもんだよ」

話しかけてきた充とすれ違った瞬間、どこかでかいだことのある匂いがしたような気がした。

心の奥が少しだけざわついた、しかし、和樹は気のせいだろうと思い込む。

そう思い込めば、気持ちも落ち着いて、頭もすっきりとする。

(こんないい気分、久しぶりかもな)

蛇口を捻りながら、いつになく上機嫌になっていく自分に嬉しさを感じていた。

9 5月18日 午後10時20分

「ただいま……何だ、飲んでるのか」

リビングでは、綾音と充が缶ビール片手に酒盛りを始めていた。

「あ、おかえりなさい。早く帰ってくるんだったら、待ってれば良かった」

「ちょっと驚かそうと思ってな……で、珍しいな、綾音が酒飲むなんて」

「うん、充君がね、内定もらったから、そのお祝い」

「第一志望の会社はまだだけどね、ひとまず就職先は確保したってことで」

充の顔も嬉しそうな、ほっとしたような表情を浮かべていた。

「そうか、よかったな」

「兄さんと綾音さんのおかげだよ、ほんとうにありがとう」

「俺も一本もらおうかな、明日仕事だけど」

おそらく近いうちに充も帰ることだろう、一度に二つ、肩の荷が下りた気がした。

「日曜なのに仕事か……本当に大変だね。綾音さんも寂しいんじゃないの?」

「え…………うん、でも、プロジェクトもそろそろ終わるんでしょ?」

綾音が期待を込めているのか、じーっと和樹を見てきた。

「あと1ヶ月もすればな」

「あと1ヶ月かー……もうすぐだね」

ふっと綾音が寂しそうな顔になった、口ではすぐといっても、やはり1ヶ月は長い。

冷えたビールをぐいっと飲み干しながら、綾音を待たせてしまうことに罪悪感を覚える。

「そうだ、充はいつ頃帰るんだ?」

「荷物まとめないといけないから、明日明後日あたりかな」

その後は二人きり……考えただけで和樹の股間が熱くなってしまう。

綾音も同じ気持ちなのか、さっきからちらちらとこっちを見ていた。

缶を一本開けて、もう一本手に取ろうとしたところで、綾音が渡してくれた。

開けてくれたみたいなので、そのまま飲み始める、酒を飲んだのは久しぶりだからか、早くも酔いが回り、頭の中がぐるぐると回り始めた。

「ペース速いね、仕事なのにそんな飲んで大丈夫なの?」

「ああ、明日は……昼から出ればいいから、少しくらい酔ってもな……それに、充が無事に就職できたんだ、もっと飲ませてくれ」

いつからこんなに酒に弱くなったのか、以前なら3、4本は軽く空けることができた。

充と綾音が何か話しているが、その声も少しずつ耳に入らなくなってきた。

「もう、全然大丈夫じゃないじゃない……」

遠くから綾音の呆れる声が聞こえてきた。

「兄さんも、仕事ばっかりできっと疲れてるんだよ」

さらに充の声が、目を覚まそうとしても、泥の中に引きずられるように身体が落ちていく。

いつもとは全く違う激しい眠気、目を開けていることさえできなかった。

遠のいていく意識をどうすることもできず、和樹は眠りに落ちてしまった。

(またか…………)

夢の中で、裸の綾音が和樹にまたがっていた。

身体を動かすこともできないし、声を出すこともできない。

意識はぼんやりとしていて、気持ちいいのかどうかもよくわからなかった。

綾音の表情は、苦痛と悦楽が混じった淫靡なもので、鈍い光を放つ瞳に、和樹は思わず魅入られてしまった。

夢の中だからか、何か話しかけてくる綾音のその声も全く耳に入ってこない。

綾音の腰の動きがだんだんと激しくなる、しかし全く気持ちよくなかった。

「………………」

しゃべりかけようと思っても、何もできない、ただ腰をくねらせ続ける綾音を見ていることしかできなかった。

しばらくすると、綾音の身体が痙攣し始めて、仰向けの和樹にもたれかかってきた。

ここまで近くにいるにもかかわらず、やはり何も聞こえなかった。

「……………………充君」

顔を上げた綾音は、なぜか充の名前を呼んだ。

どういうことなのか問い質したかったが、ここで目が覚めてしまう。

「…………はあ、またあんな夢を見るなんて」

起き上がると、リビングはすっかり真っ暗になっていた。

綾音が掛けてくれたのか、和樹はソファーの上で毛布に包まっていた。

目覚めたはいいが、頭が重く、とても寝室までは戻れそうになかった。

夢なんてすぐに忘れてしまうことが多かったが、さっきのそれは鮮明に覚えている。

綾音を最後までした夢、しかし綾音は充の名前を呼んだ。

おそらく、散々疑ったからあんな夢を見てしまったのだろう。

「……………」

また変なことを考えそうになったので、頭から毛布をかぶり目を閉じる。

何もなかったはずだと確認すれば、気持ちも落ち着いてきて眠気も強くなった。

再び目を覚ますと、今度は朝だった。

キッチンでは綾音が朝食の準備をし、充もそれを手伝っていた。

「あ、やっと起きた……」

目覚めた和樹に気づいた綾音が、ソファーの方まで駆け寄ってくる。

ちょっと怒ったような顔をしているのは昨日酔いつぶれてしまったからだろう。

「もう、あんなに強引にしてくるなんて……」

「え…………?」

「……覚えてないの?」

綾音が眉をひそめ、睨みつけていた。

なぜここまで怒っているのか和樹には理解できなかった。

「覚えてない、酔いつぶれて、すぐに寝ただろ……」

「昨日、私が寝てるときに……無理やりしたじゃない、その……」

”した”という言葉でなんとなく察してしまう。

泥酔しているうちに、どうやらセックスをしてしまっていたみたいだった。

「痛いっていってもやめてくれないし……あんな強引なあなた、初めてだった」

「ごめん……全然覚えてない」

しかし、綾音とやった夢は見ていた、まさかあれが現実だったのだろうか……

「もうあんなことしないでよっ」

「わかった、ごめん」

感触も、匂いも、声も……全く覚えていなかった。

こんな形で綾音との初体験を済ませてしまうなんて……後悔してもし尽くせなかった。

綾音の機嫌はどこか悪そうだった、昨日のリベンジなんていったらさらにへそを曲げてしまうかもしれない。

実質的な初体験が遠のくのを感じ、和樹はすっかり落胆してしまった。

綾音はキッチンの方に戻り、何か充と楽しそうに話している。

充が背中に触れたり、親しそうに身体を寄せているのを見ると、多少強気に出ても大丈夫なんだろうかと思う反面、自分がやってもらしくないだろうし綾音も喜ばないだろうなと、考えを翻してしまう。

10 5月21日 午後10時25分

3人で飲んでからすぐに、充は荷物をまとめて出て行った。

久々に二人きりになったのはいいのだが、どこかぎこちなくなってしまっていた。

早く帰ってくることができたから、何とか切り出したいところだったが……妙な沈黙のせいで、”しよう”と切り出すことがなかなかできなかった。

ただ、やはり酔った勢いで綾音に迫ってしまったことが引っかかっている。

「………………」

(綾音、まだ怒ってるかな……)

綾音に目をやると、携帯で誰かとメールをしているようだった。

「……どうしたの?」

じっと見ている和樹に気が付いた綾音が、携帯を閉じて声を掛けてきた。

「いや……いざ二人になると、なんだか落ち着かないなって思って」

「充君がずっといたからね、私も同じかな」

誘うなら今じゃないのか……しかし、もしまだ怒っていたら……付き合っている間も、結婚してからも綾音の目を吊り上げさせたことは一度もないので、こういうときにどうしたらいいのか、まったくわからなかった。

「そろそろ沸いたかな、私お風呂入ってくるね」

迷っているうちに、綾音が脱衣所のほうに向かってしまう。

何も言うことができず、和樹はそれを見送ることしかできなかった。

「はあ…………どうやって言えばいいんだろうか」

テレビの方に目を向けると、綾音の携帯が無造作にテーブルに置かれているのを見つけた。

「………………」

一度そこに目をやってしまうと、気になって仕方がなくなっていく。

(いや、いくらなんでもまずいだろ……でもなぁ)

ふと、前に綾音が浮気しているのでは……と疑ったことを思い出す。

その瞬間、全身の毛が逆立つようなおぞましさに襲われる。

(まさか…………でも、調べる必要が……あるよな)

心臓の鼓動が早まる中、和樹は携帯を手にとって開く。

ロックはかかっていないみたいだった。

二人で同じ機種を買っていたので、操作は簡単だった。

本当に見てもいいのだろうか、ためらいはあったが今ここでやめたら、ずっと悶々とし続けることになるかもしれない……覚悟を決めてメールを開く。

メールの受信ボックスを見てみると、特に変わった部分はなかった。

和樹との他愛ない話、会社の同僚とのやりとり……疑わしい文章は一つもない。

送信ボックスも、発信履歴も、着信履歴も……充の名前を見ることは一度もなかった。

メール不精と言っていただけあって、送っているメールは淡々としたものばかりだった。

思い過ごしだったのだろう、そもそもロックしていない時点で白の可能性が高かったはずだ。

「…………ははっ、そうだよな……ごめん、綾音」

疑ってしまったことを詫びつつ、携帯を元に戻す。

一つ悩みが解決すると、次の悩みが脳内を支配する。

どうやって、綾音を誘うか……もう充はいないのだから遠慮する必要はない。

だが、酔った勢いでしてしまったときの綾音の怒った顔がどうしてもちらついてしまう。

「もう、酒は飲まないようにしないとな……」

仕事ばっかりで飲む機会がなかったからか、すっかり酒に弱くなってしまった。

いっそ禁酒でもしようか……そんなことを考えていると、綾音の携帯が震えた。

電話がかかってきているようで、よく見ると充からだった。

「何だあいつ……用があるなら俺のところに電話すればいいのに」

出ようかどうか悩んだが、プライバシーも大事だろうとあえて無視する。

本当に急用なら、自分のところにも電話が来るだろうと思い、そのままにしておいた。

しばらくすると綾音が風呂から出てきた。

ここで持ちかけようとしたが、その前に綾音に風呂に入るように促され、言い出せなかった。

綾音が寝てしまう前にと、手早くシャワーを浴びて身体をさっぱりとさせる。

リビングに戻ると、綾音はまだテレビを見ていた。

それに安心して、隣に座り、そっと綾音の手を握った。

「なあ…………」

一言発しただけだったが、意味を察した綾音がさっと身をかわしてしまう。

「あんなひどいことしたから、しばらくはだめ」

唇を尖らせてさっさと寝室に向かってしまった。

やはりまだ怒っているようだった。

「ああ……やっぱりだめだったか」

勃起したペニスを持て余しながら、テレビに目をやる。

たまたまやっていたドラマでは、愛し合う男女がいちゃついていた。

それに余計に腹が立ち、和樹は八つ当たり気味にテレビを消してしまった。

11 10月25日 午後8時30分

プロジェクトも終わり、落ち着いた生活が戻ってきたが、今度は綾音の仕事が忙しくなり、結局あれから一度もできないままだった。

いや、正確には知らないうちに綾音を抱いていたみたいで、かなり前に寝ぼけたまま彼女を押し倒してしまっていたらしい。

それも綾音の怒りを買い、今日までお預け期間が続いていた。

いつ頃終わるのかわからない、先の見えない迷路に和樹は迷い込んでいる。

もっとも、いつまでも甘んじているわけには行かないとあれこれ策をめぐらせてはいた。

ソファーでぐだぐだとしながら、何気なく雑誌に目を通しつつも綾音の様子を窺って、何とかセックスさせてくれないかと切り出すタイミングを探す。

「…………ねえ、ちょっといいかな?」

「ん、どうしたの?」

洗い物を終えた綾音が不意に話しかけてきた。

身体を起こし話を聞く姿勢を作る。

「……………………できたみたい」

「できた? もしかして、子供……?」

「………………」

お茶を入れながらうなずく綾音、和樹には信じられなかった。

確かに、3ヶ月くらい前に、寝ぼけた和樹に押し倒されたと綾音から聞かされたような気がする。

しかし、たった一回で子供ができるのだろうか……疑問がないわけではなった。

「二人の子供……だね」

綾音がしみじみとつぶやく、お腹の中に子供のいるからか、すでに実感しているようだ。

一方の和樹は、自分が父親になったことにまったくぴんと来ていなかった。

「……………そうか」

これでしばらくの間は、セックスどころではなくなってしまった。

だが、綾音の顔を見ていると、本当に幸せそうで、満ち足りた表情をしていた。

綾音さえよければ、それでいいのかもしれない、と考えながら子供がいるであろう下腹の辺りを撫でてみる。

「っ…………!」

反射的に綾音に手を払われてしまった、すでに母親モードに入っているみたいだった。

それに苦笑しながら、産まれてくる子供の名前を何にしようか、もし、女の子だったら……二人から一文字ずつとって和音なんていいかもしれないな。

和樹は少しぬるくなったお茶を飲み、そんなことを考える。

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