連載小説「通販カタログ」(6) (Pixiv Fanbox)
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(6)
土曜の、午前10時。
「3ねん1くみ、せがわ、ゆういち、と……」
サインペンを手に、ぼくは自分の名前を書き込んでゆく。手元にあるのは、横幅25センチ、高さ15センチの一枚布――いわゆる、ゼッケンだ。パジャマにしている体操上着につけるからと、名前を書くように言われたのである。
「家でパジャマにするだけなんだから、何もゼッケンをつけて、名前を書かなくたっていいのに……」
小さくため息をつく。
名前を書かなくてもいいといえば、いま着ている「制服」もそうだ。
丸襟の長袖ブラウス。紺の吊りスカート。どう見ても女子小学生用のそれには、ちゃんと裏地の名札に「3ねん1くみ せがわゆういち」と名前が入っている。下着やハイソックスも同様だった。
「制服や下着には、名前を書いておきなさい。もちものに名前を書くのは当たり前でしょ?」
そう、母さんに言われたのだ。
もはや「名前を書く」という行為そのものが、ひとつの羞恥プレイである。自分の持ち物である、つまりはこれらの服がぼくのものであり、ぼくが着る服だということを、強く意識させられるんだから。
「う――考えたら、また……」
ショーツの中で立ち上がりそうになるものを、深呼吸してこらえる。休日とはいえ、まだ昼間――オナニーするには、いささか早い。隣の書斎には、父さんもいるのだ。
「そういえば午後から、源太が遊びに来ることになってたっけ……」
平井源太。家が近く、小学校の頃からの友達だ。あいつが来る前には普通の服に着替えて、女子制服はクローゼットの奥にでもしまっておかないといけない。
「……まぁ、最悪見つかってもちょっと笑われる程度で済むだろうけど」
それでも恥ずかしいものは恥ずかしいので、気をつけないと――
と、考えていた時だった。
「裕ちゃん、ちょっといい?」
ふいにドアが開いて、母さんが入ってきた。危ない、オナニーしてたら現場を見つかるところだった。ぼくは少し睨んで、
「もう、入るときはノックしてよ」
「女の子じゃないんだから――って、いまの裕ちゃんはおんなのこだったわね、ごめんごめん」
揶揄うように言う母さんに、ぼくは赤くなる。女装を始めてからぼくの呼び方は「裕一」から「裕ちゃん」になり、ことあるごとに女の子扱いしてくるのだ。
「天気予報だと、来週から寒くなるみたいなのよ。そのブラウス一枚だけだと、ちょっと肌寒いでしょ? だからその制服に合わせた上着を、買った方が良いんじゃないかと思ったの。いまから駅前まで買いに行くから、裕ちゃんも一緒にいらっしゃい」
「い、いまから!? その……この、格好で……?」
思わず立ち上がって叫ぶ。
人に見られるリスクの少ない、目と鼻の先の距離の美容室でさえ恥ずかしかったのに、辺鄙とはいえたくさんの人がいる休日の駅前に――?
「大丈夫よ、おとなしくしてたら、ちょっと背の高い女の子にしか見えないから。ほかにもいろいろ買いたいものはあるし、裕ちゃんが実際に着てみないとちょうどいいかわからないから、恥ずかしがらずに来てちょうだい」
「うぅ……何もそこまでしなくても、肌寒い時は普通の服に着替えさせてくれれば」
「それはだめ」
即答だった。
「パパにも車を出してもらうことになったから、久しぶりに三人でお出かけして、どこかでランチにしましょう。ふふっ、楽しみね」
「ら、ランチまで!? あの、午後から源太が遊びに来ることになってるんだけど……」
「わかってるわよ。それまでには帰れるようにするから、安心なさい。じゃ、支度をしたらすぐ降りてらっしゃいね」
母さんはそう言って、部屋を出て行った。
あの様子だと、きっと父さんもノリノリだったんだろう。先週は「赤いランドセルも買ってやらないと」なんて言ってたし、おそらくランドセル売り場には連れて行かれる。
「ほんとに、この格好で駅前に……?」
不安と恥ずかしさに、金玉が痛いほど竦む。
けど今のぼくに、断る選択肢はなく――
「と、とりあえず、身だしなみをチェックしないと」
ぼくはヘアブラシを手に取ると、クローゼットを開けて扉の裏面の鏡を覗き込みつつ、髪形を整え始めるのだった。
(続く)