新作の進捗.2 (Pixiv Fanbox)
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──と、このお話はここで終わり。
漫画やアニメじゃあるまいし、ここから彼女とのラブコメディのようなストーリーが始まる訳でもない。
あの日の事は、ただ僕にとっては奇跡的な思い出に、彼女にとっては覚える意味もないただの気まぐれして過ぎ去ってゆくだけだ。
そもそも僕と彼女には元から接点なんてないし、これから接する事もないだろう。
彼女はその類稀な才能と美貌で人々の羨望の目を集め、特別な才能などもない僕は薄暗い日陰を歩くだけだ。
恋人同士は言うまでもなく、例え友人としての関係ですらまるで釣り合わないだろう。
だから、もう彼女と関わる事はもうない。
彼女がまた僕に話しかけたりする事など有り得ないし、僕から彼女に声をかけたりもしない。
彼女とは住む世界が違うから、そんな機会も二度と与えられたりしないのだ。
そう、思っていたのだが……。
「ハーイ、じゃあ、今日の出会いに感謝して~?」
「「「カンパーイ!!!」」」
──か、乾杯……。
座敷席の隅っこで縮こまりながら、周りを見渡す。
隣を見ればちょっとくすんだ金髪に、格闘技で鍛えたと豪語していた筋肉質な腕。
染み付いているのだろうか、少しタバコの匂いがするジャケット。
正面を見れば、少し茶色がかったロングの黒髪に、淡めの中間色でまとめたワンピース。
あまり詳しくないので分からないが、見た感じでは薄めの化粧で、唇だけは濃いめかつ潤いを強調した赤色。
パッと見は清楚そうな見た目だが、こんな場所に来るのだから、どうにも猜疑的な目で見てしまう。
そんな男女ばかりがずらりと横並びになって、僕の眼前に見えるのは。
「……乾杯」
控えめに、ゆっくりと杯を上げる、背の高い美女。
深く冷たい青色の瞳に、パッキリとシャープなまつ毛が目を引いて、刺すように鋭い目元とギリシャ彫刻じみた輪郭が、整いすぎているほど整ったマニッシュな美貌を強調する。
肌は相変わらずすべすべと絹のように滑らかで、最早言うまでもないが、胸もメロンほどの大きさと蕩けるような肉質を持ち合わせて、まるで男の精を啜って生きるサキュバスのよう。
そう、言うまでもなくその女性の名前は──早瀬渚。
集合の時間ぴったり、全員が揃ったその後に音もなく現れて、あまりの美しさに空気そのものを凍てつかせた彼女を、まさか見間違うはずがない。
彼女の形容は、場末の安居酒屋にはまるで似つかわしくなく、例えるならばドブ池の中に虹色の羽を持った孔雀が居るような、そこに存在するだけでそんなチグハグさを感じてしまう。
それは、女性が並ぶ側の席に座った時も同じで、言っては悪いが彼女らに対して全く釣り合っていない。
ちょっとあの子より美人だとか、ちょっとあの子よりスタイルが良いとか、そういう次元の話ですらない。
子供の落書きをくしゃくしゃに丸めたちり紙と、一等品の和紙に人間国宝が描いた絵画の価値を比べるのが馬鹿らしいように、最早比較にすらならないほど、彼女は絶対的な輝きを放っていた。
それを見た男達は、もう馬鹿みたいに口を半開きにして、彼女の歩き姿を眺めるしかない。
女達ですら、その溢れそうな色香に当てられて、視線を釘付けにされる。
嫉妬の感情や、男を奪われるかも知れないという焦燥感すら、もう感じる事もできないのだろう。
あまりに生物として圧倒的すぎる差に、僕達はもう為す術がない。
そうして彼女が──何の因果か、僕の正面に座った時、この会場においての女王が決定する。
全員から、一身に媚びるような目線を受ける早瀬さん。
彼らも、彼女らも、誰もかもが。
早瀬さんただ一人と、お近づきになりたい。
それだけが、この集会の意味なのだ。
そんな至極当然の事を、ただ彼女の登場だけによって、再確認させられた。
早瀬さんは、ごく稀に気まぐれに合コンに参加するそうなのだが、彼女が来る合コンは男女問わず参加希望者が殺到し、噂によるとその倍率は人気アイドルグループのコンサートにも勝るほどになるらしい。
もちろん僕は合コンなどに行くタチでもないし、主催者の人間とのコネなども持ち合わせてはいない。
こういうものを開催するのは、得てしてバーベキューやサーフィンを好むようなステレオタイプの陽気な人間であるが、生憎日陰者の自分にはそういう人間は友人には居ないのだ。
……いや、一人だけ居るか。
早瀬さんと初めて話した時に時に中庭で一緒に居た、あの友人。
丁度この合コンに来ることになったのも彼奴のせい──もとい、彼奴のおかげだ。
そもそも、アイツは成人しているとは思えないほどスケジュールにだらしない。
そんなだから、今回も合コンが再試とダブルブッキングしていたとかで、急遽行けなくなってしまうのだ。
──まあ、そこまでは別にいい。
人数が不足すると不都合だからと、迷惑にならないよう代役を立てるのも、その相手からの了承があるのなら良いだろう。
だが、よりにもよって、何故代役に僕を選ぶ。
しかも、代役の僕にも、幹事の男にも、直前まで全く何の連絡もなしに、だ。
「まずは何頼むー?」
「とりまポテトフライと、あとサラダと……」
「唐揚げ食べたい人ー?」
「はーい!私食べたいです!」
表面上は明るく、いかにも『合コン』という雰囲気で、彼らはメニューを決めている。
しかし、何となく、既に刀の切っ先を向けて牽制するようなプレッシャーが充満していて胃に悪い。
それは、ある意味で当たり前の事ではある。
たった一人の極上の女、それもこれ以上に優れた雌など間違いなく地球上のどこにも居らず、また出会える事も絶対にない、こんなにこってりとフェロモンと艶に溢れた、例え牢屋にぶち込まれたって諦めるなどと考える事もできないような女を、これほど大勢で取り合っているのだから。
「んで、えーと……君も食べる?」
──あ、頂きます……。大皿もあるみたいですけど、そっちで頼みます?
「あ、マジ?んじゃそうしようか」
「唐揚げと竜田揚げの合盛りもあるからそれにする?」
「あとポテトフライも大皿で頼みましょうよ」
──あ、じゃあ、通路も近いので僕がまとめて頼んどきますね。
「サンキュー!他何か頼みたい人ー?」
彼らの目は、全く僕には向いていない。
何故かは知らないがこんな場所に迷い込んだ、芋っぽい陰キャなんて相手なんてする価値はない。
そう思っているかどうかは知らないが、少なくともここに居る全員は、僕への興味関心は全く持ち合わせていないようだ。
まあ、その方が僕としても助かる。
別に彼女が作りたい訳でもないし、見知らぬ人達と交流を深めたい訳でもない。
下手に干渉されずに済むのなら、人見知りの僕にとってはありがたいという物だ。
しかし、全く何も話さないというのも不自然というものだ。
適当に、場が円滑に回るようには動いておこうとそれぞれ好みのメニューを記憶する。
僕は本来の合コンの目的を遂行しようともしない、呼ばれてもいない邪魔者なのだから、それくらいの罪滅ぼしはして然るべきだろう。
「で、渚ちゃんは何食べるの?」
表情には出さないように、一人そんな事を考えていると、近くの女性が少しそわそわしながら早瀬さんにそう尋ねる。
その質問に対する周りの反応は分かりやすいもので、一遍に視線が早瀬さんの方に向いた。
彼女が何を言うか気になるとか、あるいは彼女がこう言ったらどう返せば最も好意的に思われるかとか。
そういう事を脳内でシミュレートしているのだろうな、と容易に察する事のできる彼らの必死な表情は、言い換えれば彼女の人を惹きつける魅力の表れなのだろう。
やはり、この合コンは全員が──はっきり言ってましまえば、早瀬さんを狙っている。
男はもちろん彼女の体を狙うだろうし、女性も彼女の端正かつボーイッシュな顔立ちに骨抜きにされている。
下手な男性よりも、と言うか、この居酒屋に居るどの男よりも、早瀬さんの方が男性的な魅力に長けているだろう。
男である僕からしてもそう思うのだから、彼女の性を逸脱するほどの美貌は、女性からしてみれば堪らない妖艶さとして映るに違いない。
「おつまみか……そうだね……」
早瀬さんは、白魚みたいに細い指でメニュー表を捲る。
下を向いて、少しばかり伏し目がちに細めた目は、何か妖しげとすら思える艶やかさを孕んでいる。
ごくりと、隣の男が自然と唾を飲んだ。
──気持ちは、分かる。
ただ何を注文するか悩む姿が、何故あそこまで人を駄目にする魔性を放っているのだろうか。
「あー……うん、決めた」
ぱたん、とお品書きを閉じて、彼女が僕の方を見据える。
その瞬間、空気がなんとなく張り詰めるのを感じ取った。
彼ら、または彼女らにとって、ここからが戦場なのだ。
誰が早瀬渚を射止めるか、そこに向けてのドラッグレース。
彼女への返事のスタートダッシュ、最初の一言をどう切り返すかと、誰もが前のめりになって──
「なめろうと、梅水晶がいいな」
──全員が、クラッシュした。
脳内のデータベースにない初見殺しな名詞が飛び出して、構えていた分強く出鼻をくじかれて立ち直れない。
──……あー、美味しいですよね。あんまり見かけないですけど。
会話に空白ができないよう、当たり障りのない返事をとりあえず返す。
周囲もそれに乗っかり、俺も好きとか、私も見かけると食べますとか、なんでもない返事で後に続く。
「フフ……どちらも美味しいよね。知ってるかい?なめろうは、皿を舐めるほど美味しいからなめろうという名前になったそうだよ」
それに対して、あくまでもマイペースに、早瀬さんは豆知識で返す。
にこやかに、相も変わらず悪魔じみた美しさで。
けれど、崩されっぱなしの人々は、それに対して相槌を打つしかない。
初めはあれだけ意気揚々と騒いでいた彼らが、もう既に彼女の特有の雰囲気にたじろいでいる。
恐らくは場を回す事に慣れているであろう彼らに全くペースを掴ませず、渦潮が船を飲み込むように、この場は彼女が支配してしまった。
「なめろうはね、千葉の郷土料理だから、そこに行けばよく置いてあるんだ。特に漁場が近い場所だと新鮮で美味しくてね……」
高級なワインをくゆらせるようにお冷の入ったコップを揺らしながら、喋喋と語る彼女。
その声はハスキーながらも耳触りがひどく滑らかで、いつまでも聞いていたくなるセイレーンのような魔性を秘めていた。
ハープが流れるような音を出す喉を時折水で潤して、それがこくりと喉を通るのがいやに艶めかしい。
彼女の人間離れして美しい形貌と相まって、恐ろしいほどに目が離せなくなってしまう。
──ああ、やっぱり、凄まじいな……。
流暢に言葉を紡ぐ彼女を見て、深くそう感じ入る。
はっきり言って、彼女が語っている内容は彼らが望んでいるものではないだろう。
現に彼らは、皆どことなく歯がゆそうな顔を隠せていない。
けれど、誰も彼女の言葉を否定したり、遮ったりはしない。
不快に思って苛立ったり、興味を失って聞き流したりもしない。
いつの間にか深く心を惹き込んで、完全に会話──というか、一方的に語っているだけではある──の主導権を独占している。
もう、このたった数分で理解できた。
早瀬さんが突飛な言動を、あるいは格好をしている理由が。
彼女には、空気を読む必要が全くないのだ。
何故ならば、その場の空気など、意識せずとも一瞬で支配してしまえるから。
彼女がそこに居る限り、その場において自然で当たり前なのは全て彼女で、その他の存在はそれに口出しする権利は全くない。
こうして対峙して、そして話をしてみれば、そう思わざるを得ない。
──とは言え、彼らにとって聞きたいのは、決して郷土料理の蘊蓄ではない。
もっとパーソナルな、早瀬渚という女について知りたいのだ。
だから、一人の男が先陣を切る。
得体の知れない美女について、少しでも手がかりを掴むために。
「……あ、もしかして、渚ちゃんって千葉出身なの?」
──行った。
その場に居る誰もがそう思う。
しかし、その心許ない反撃に対して彼女はあまりにも無慈悲で。
「……?違うけど、どうして?」
……そっか。
そう微かに呟いた声が、喧騒に消えていった。
──あー、そろそろ注文取りますか……。
助け舟を出すようにそう言うと、最も喜んだように見えたのは、早瀬さんだった。
「あ、それならむかごの天ぷらも貰っていいかい?抹茶塩でお願いしたいのだけれど」
これは大皿無いのかな?なんて言う早瀬さんは、なんと言うか、間違いなくこの場を最も楽しんで乗りこなしている。
それを見て、僕は少しだけ助かったなと思う。
もう彼らは早瀬さんをどう攻略するかに夢中で、僕のことなど忘れきっているだろう。
──抹茶塩なら、頼めば無料で貰えるらしいです。何個か頼んでおきますね。
「うん、お願い」
にこにこと、無邪気な顔で笑う彼女。
少女然とした可愛らしさと、壮麗な格好良さを兼ね備えていて、やはり息が詰まるほど美しい。
その笑顔を見ているだけで、心臓がずくんと跳ねて、かっと熱くなる。
──早瀬さんと付き合いたい。
不躾というか、身の程も知らずに強くそう思ってしまうくらいには、彼女は魅力的すぎる。
ただ美しいだけでない、何かふらふらと惹き付けられてしまうような、異様な色気とフェロモンが、早瀬さんには存在する。
くらくらするような官能さは、男に諦めを許してはくれない。
彼女の持つ魅力は、あまりにも残酷すぎた。
──けど、やっぱり僕になんて、どう考えても無理だ。
釣り合いもしなければ、彼女が僕に興味を持つことも無いだろう。
同じ参加者からすら見向きもされないのだから、どんな人間からも選ぶ権利を持つ彼女が、わざわざ僕を選ぶ理由もない。
少なくとも、ここに居る参加者から、もっと言えばこの世界の人間から全てを出し抜いて、彼女から最も魅力のある男だと思ってもらう。
それが、この世界にたった一人だけが得られる、早瀬渚の恋人になるための条件なのだ。
言い換えれば、彼女の恋人になれたのなら、それはこの世界の誰よりも魅力のある人間という事になって。
──まあ、現実的ではないよな……。
熱くなりかけた体を、氷でよく冷えた水で冷やす。
お近づきにはなりたいが、無理に近づいて離れられるのはもっと嫌だ。
──唐揚げと竜田揚げの合盛りと、サラダとポテトフライ、これらは大皿でお願いします。それから、単品で、えーと、なめろうと……。
ちら、と早瀬さんの方を向く。
注文する僕をじっと見ていたのか、ばっちりと目が合った。
「梅水晶と、むかごの天ぷら。抹茶塩も付けてね」
店員さんにそれを伝える訳でもなく、ただ僕に話しかけてくる。
甘えるように笑って、お前が繰り返して言え、と言わんばかりに。
──だ、そうです。……一応、抹茶塩は人数分頂けますか?
しかし、僕はそれを受け流して、応じない。
何故彼女はこんなにも懐っこいというか、男を誘う蠱惑さがあるのだろうか。
無意識下でそれをやっているのなら、いよいよもって彼女は魔女だ。
はっきり言って、これ以上彼女の正面に居るのは心臓が持たない。
前を見れば、彼女の天女のような麗しい顔が、寄りすがるように甘えた表情を見せている。
酒に酔って、少し瞳がとろんとしているのだろうか。
元来持っている鋭く中性的な端正さと、淫らで艶やかな女性らしさが、どうにも僕には耐え難いほど究極的なバランスで混じりあって、眺めているだけで鼓動がおかしくなってしまう。
それに、周りからの視線が痛い。
何故お前のような冴えない男が、早瀬渚の気を引いているのか。
憎悪と嫉妬を隠しきれない、殺意すらこもった目が、明らかに僕に向いている。
違う、僕はただ彼女の正面に居るだけで、何もしていない。
早瀬さんが僕に興味なんて持つはずがないのはあなた方もよく分かっているだろう。
そう思いつつ、彼らの誤解を解くには方法がない。
故に、僕は彼女から向けられる視線を意図的に気づかないふりをしながら、早く誰か席を代わってくれと祈るしかできない。
ちら、と横を見ると、彼らも張り切って話題を提供している。
趣味がどうだとか、休日はどんな事をしているかだとか。
正面の早瀬さんから常に視線を外しているのも不自然だし、僕もそちらの話題に乗らせてもらおう。
知り合いでもない人間と楽しげにパーソナルな話をするのなんて、はっきり言って大の苦手だが、幸いにもそれへの嫌悪感は脳に回ったアルコールが何とかしてくれそうだ。
隣の男のする自慢混じりの格闘技の話に、あまり興味は無いが相槌を打った。
「~~で、その喧嘩売ってきたヤツを俺がまとめてブチのめして……」
「女なんて今までン十人抱いたし、みんな俺のブツの虜になって……」
「私も女のコとセックスするの結構好きで……」
「女だからこそ女のイイところが分かるって言うかぁ……」
──それから数十分ほど経つと、場も温まって会話が弾み始める。
しかし、その内容はと言うと、はっきり言って聞くに耐えない。
自分の雄としての優位性を示したいのか、ご自慢の腕っ節で誰を殴ったとか、あるいは自分がどれほどセックスが上手いのかとか。
犯罪自慢とセクハラ話ばかりが延々と続いて、いくら何でもげんなりしてしまう。
今どきこんなステレオタイプな不良崩れがまだ淘汰されずに存在しているのか、と感心すらしてしまう程だ。
そして、女の側もそれは同じで、随分下世話な話ばかりを嬉しそうに語っている。
最早男など眼中に無いと言わんばかりにあからさまに早瀬さんの方を向きながら、女と女のセックスの良さを語る姿は、その清楚ぶった格好とはかけ離れた下品さだ。
誰も彼もがマウントを取り合い、性と暴力の話に明け暮れる。
それを自分のアピールポイントだと言わんばかりに振りかざし、それを下劣な性欲と合わせて好みの女にぶつけている。
それをお前にしてやる、俺様の所有物にしてやる。
そんな驕り高ぶりをひけらかした上からの目線で、そこには様々なハラスメントが折り重なっていて、しかしそれがこの場においては、それが魅力となるステータスとされていて。
なんと言う治安の悪さ。
合コンとは、こうなのか。
カルチャーショックに慄きつつ、食欲は完全に失せているがサラダをつまむ。
何か口に入れているとアピールすれば、喋らなくて済むからだ。
「てゆーか渚ちゃん腕ほっそいねぇ~!」
「握力どのぐらい?20ぐらい?俺70ぐらいあるんだけどすごくね?」
「俺も素手でリンゴ割れるわ~!簡単だよなあれ」
男たちはゲラゲラと笑いながら、その太い腕をわざわざ腕を捲ってまで見せつける。
早瀬さんの細腕と比べるように、厭らしく目線を向けながら。
その様子に、俺達はその気になればお前を無理やり犯せるんだぞ、という言外の主張を感じるのは下衆の勘繰りだろうか。
彼らはその腕が余程誇らしいのか、触ってみてよとしつこく早瀬さんに迫っている。
その様子に、ただの自慢だとしても少々しつこいなと僕から見ても思ってしまう。
早瀬さんは、そんな彼らをあまり相手にせず、適当に受け流しているが、彼らはそれでも止まらない。
「てかさぁ、渚ちゃんってやっぱめちゃくちゃ乳デカいよね」
「おっぱいデカい女ってぇ、性欲めっちゃ強いらしいよ」
そうしていると、話はどんどんエスカレートし、遂には早瀬さんへの直接的なセクハラに発展した。
視線は彼女の胸に向けながら、ゲラゲラと下卑た笑い声を上げ、自分達の性欲の玩具にする気満々に、聞いているだけで胸焼けのような不快感がするような言葉を、なんの遠慮もなしに投げかける。
「渚ちゃんもさぁ、やっぱヤることヤってんの?」
「まあ、見るからに性欲強そうですしねぇ」
いかにもドロドロと粘つく欲望に満ちた、品のない笑い声が響く。
いくら何でもこれは可哀想だ、そろそろ止めるべきか。
いや、僕が知らないだけで、合コンとは本当にこういうものが当たり前なのか?
だとしたら、それを知っていて渚さんは参加したのだから、止めるのも変かもしれない。
「今まで何人とヤったの?」
「てかさぁ、この中でヤるなら誰がいい?」
「俺めちゃくちゃセックス上手いしアレもデカいよ」
「やだぁ、渚さんはこんなバカ男よりも女の子の方が好きですもんねぇ?」
──しかし、どう考えても怖いし不快だろう、これは。
例え場を白けさせたりして、最悪僕が殴られても、それで済むのならやっぱり止めた方がいい。
早瀬さんにその手が向かう前に、僕が代わりに被害を請け負うなら結構な事じゃないか。
──よし。
そうして、僕はようやく意を決する。
小さく深呼吸をして、震える両手を押さえつけて、なるべく毅然と、声から怯えが悟られないように。
あの、ちょっと──。
笑い声に負けないくらいの声量で、そう口に出す。
いや、出そうとした。
しかし、それは止められた。
他でもない──早瀬さんに。
早瀬さんは僕が口を開くよりも先に、手のひらを小さくこちらに向けて制止する。
僕の心を読んでいたかのように、しかしこちらを向きもせず。
彼女は落ち着き払った様子で、普段通りに、言った。
「そうだね、他人よりもそういう欲は強いと思うし、興味もあるよ」
──その言葉に、僕は愕然とする。
早瀬さんは、彼らに迎合するように、性の話に自分から乗りかかったのだ。
途端、彼らの目線がいやに粘度を帯び、期待と情欲が嫌らしさと入り交じって、明確に早瀬さんを獲物と捉える。
最早その目付きは口よりも「犯す」「食い散らかす」「セフレにする」「あわよくば自分のテクで都合のいいATM兼オナホにしてやる」と語り尽くしており、男である僕から見ても吐き気がしてしまう。
しかし、そんな事態を招いたのは、他でもない早瀬さんだ。
彼らがそのどす黒い欲望を隠す必要もないと、そう察させたのは、早瀬さんなのだ。
全身の血液が引いてゆく。
背筋がぞくぞくと寒い。
心臓がいやに痛む。
手先の震えが止まらない。
早瀬さんは、確かに奔放な人だ。
正直に言えば、その格好だけを見て痴女だと判断するのも理解できる。
彼女の事を奇人の痴れ者と嘲る人だって居る。
しかし、彼女には彼女なりの信念があり、誰にでも股を開くような女性ではない。
そう、思っていたのだが、現実はそうでもないのだろうか。
欲のまま、男と見るとホテルに誘うような事も、あるのだろうか。
「とある人と、そういう事をしようとした時もあるんだ」
──ああ、やはり、そうなのか。
行きずりの、とは違えども、僕の知らない僕よりも優れている男と。
……いや、そもそも僕だって早瀬さんの事を深く知っている訳ではないか。
ただ、ちょっとあの時話しかけられて、舞い上がっていただけだ。
それを、あたかも自分は早瀬さんの事を理解しているように勝手に思い込み、結局彼女の事を自ら知ろうともしなかったのは、それこそ他でもない僕じゃないか。
これは、僕がただ、彼女を格別に神聖視して幻想を押し付けていただけなのだ。
そうか、この場において、早瀬さんから最も距離が離れているのは、僕だったのか。
そもそも彼女は自らの意思でここに来たのだ。
嫌々ながらこの場所に現れた僕には、一番遠い存在じゃないか。
考えてもみれば当たり前の事が、ひどく胸を刺す。
落胆、悲哀、絶望。
失恋未満の届くはずもないしょうもない片想いに、トドメを刺された気分であった。
涙すら流しそうな僕は、ただ黙って下を向いている。
酒場特有の喧騒すらも、聴覚が朧気で聞こえない。
「けれどね」
それでも、彼女の金糸雀のような声だけは、やけにクリアに耳に届く。
その声は、今までの流れをまるで断ち切るような、そんな声だった。
早瀬さんがただ一言言ったのは、転回の接続詞。
ニヤニヤと、色気立って揉み手をする奴らの手が止まる。
「結局、しなかったよ。いや、出来なかったというのが正しいのかな」
顔を上げて、正面を見た。
そこには、相も変わらず、凛と美しい顔があった。
しかし、少なくとも僕には、彼女が──
「これは、少し前のお話なんだけどね」
──静かに、怒っているように見えたのだ。