"陰茎の相対性理論 +進捗報告" (Pixiv Fanbox)
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お世話になっております。とえるです。
まずは次回更新予定のイラストの進捗公開を兼ねてチラ見せいたします!
久々にこの二人を描けて楽しいです。今週中にお披露目できればと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、本題です。ちんちんについてです。
お題箱に「とえるさん的には大っきいちんちんってどうですか?」というような問いかけがあったのでその話です。もっと僕の場合は24時間365日性癖を垂れ流しているので大体把握されているとは思いますが……
では結論から言いましょう。僕にとってのちんちんの評価とは、「ちんちんのサイズ」それのみで決まるものではなく、「肉体との距離」で決まるのです。これこそが「陰茎の相対理論」です。何言ってるかわかんねーのはいつものことだと思いますので解説をしていきましょう。
ここに二本の茎があったとします。一本はつつましく皮を被った貧相な茎、もう一方は対称的にたくましく、しっかりと剥けきった立派な茎です。人によってはこの時点で好みが分かれることでしょう。小さな茎を愛でる人もいれば、大きな茎に惹かれる人もいる筈です。しかし陰茎への好悪は、はたしてそれの形状のみで決まるものなのでしょうか。皆様には今一度自問していただきたい。
ではこの二本の茎、小柄で大人しい少年に小さな茎が、大柄で快活な少年に大きな茎がぶら下がっていたとしていたらどうですか?
更に問います。大柄で快活な少年に小さな茎が、小柄で大人しい少年に大きな茎がぶら下がっていたとしたら?小柄だけれど活発そうな少年ではどうでしょう。逆に大柄だけど大人しい少年では?好みは千差万別ですので、様々な評価を下したかとは思いますが、一貫して茎のサイズのみで好悪を評価した人は少ないのではないのでしょうか。更に踏み込んで言えば、一貫してサイズの大小を評価基準にした人でさえ、「どんな属性が」その茎をぶら下げているかどうかで、好みの差が出たのではないでしょうか。
そう、結局のところ、我々が愛しているのは「男性器という物体」そのものではなく、「少年の肉体に付属した『ちんちん』」であるわけです。「ちんちん」とは少年の肉体に従属した存在であり、その評価にはどうあっても主たる少年の肉体に左右されるということなんですね。
ここからが重要なわけですが、我々は大抵の場合、ちんちんの形状から逆算した肉体の「妥当性」を価値観の中に孕んでいます。言うなれば「肉体のイデア」とでも称しましょうか。巨根であるならば逞しい体躯を、短小であるならば幼い体躯を想像するように、サイズに対して「ふさわしい肉体」を想像せずにはいられないわけですね。それを好むかどうかはともかく、ちんちんと肉体が乖離していると、我々の想像の中にある「肉体のイデア」からは距離が生まれてしまう。こうして生まれる「距離」にこそ尊さを見出すロジックが、「陰茎の相対性理論」なわけです。要するに「ギャップ萌え」です。
だって、だってですよ?いかにも腕白で外遊びが好きでオスとして成長しつつある少年が、「ちんちん」と呼称するのもおこがましい皮かむりガキちんぽだったり、逆に病弱で色白な薄幸の美少年が、その内側に凶悪なオスを潜めている……そう思うと興奮しませんか?僕はします。そういう話をしています。
肉体との相対距離があるちんちんはそれだけで尊いものです。僕にとっては巨根との距離がある肉体のイデアとはすなわち「儚げな美少年」=「攻め」なので、畢竟攻めのちんちんがクソデカ化しがちなのですが、この距離さえ確保できていれば受けのちんちんが大きくても一向に問題ありません。具体的に言えば、「巨根なのに無毛包茎」といったような、ちんちん自体が肉体との距離を生成するようなタイプですね。コンプレックスに感じていると尚良しです。
というわけで今回は自分の好みにからめて陰茎の相対性理論について語ってみました。みなさんはどのくらいの「距離」がお好みでしょうか?一度胸に手を当てて考えて見るのもいいかもしれませんね。それではまた!
P.S 胸に手を当てて考えたんだけどやっぱ俺短小包茎ガキちんぽが好きだわ(短小包茎ガキちんぽを辱めたいので)